平安時代中期から後期にかけての武将で、陸奥国の豪族安倍氏の一員。父や兄とともに源頼義と前九年の役で戦ったが、降伏し都へ連行された。都での逸話として、梅の花を侮辱された際、「わが国の 梅の花とは見つれども大宮人はいかがいふらむ」と詩を詠んで都人を驚かせたことが『平家物語』に記されている。後に伊予国に流され、さらに筑前国の大島に再配流された。当地では、宗像氏の支援を受けて日朝・日宋貿易に関与し、安昌院を建立するなど活動を続けた。嘉承3年(1108年)に77歳で亡くなった。
主な祖先
安倍宗任の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫














