平安時代の武将である安倍頼時は、陸奥国奥六郡を治めた俘囚長で、孫には奥州藤原氏の初代藤原清衡がいる。初めは頼良と名乗り、安太夫と号した。奥六郡において半独立勢力を形成し、永承6年(1051年)には藤原登任の攻撃に対抗して鬼切部の戦いで国府側を撃破した。この戦いが前九年の役の始まりとなった。永承7年(1052年)に朝廷から大赦を受け、頼時と改名した。天喜4年(1056年)には阿久利川事件をきっかけに再び挙兵し、翌年に流れ矢を受けて重傷を負い、鳥海柵で没した。跡は嫡子の貞任が継いだ。束稲山に桜を植えたという逸話も残る。














