安倍忠良は平安時代中期の武士で、後に奥六郡の支配者となった安倍頼時の父として知られる。陸奥国の俘囚長として『陸奥話記』に記され、平範国の『範国記』では「安倍忠好」としても登場する。忠良が中央貴族出身で、一族を率いて京都から陸奥へ下向し、現地に土着したとの説もある。永承6年(1051年)の前九年の役が始まる頃には文献に記述が見られず、既に死去していたと考えられる。忠良は安倍猨嶋墨縄の後裔で、猿島郡衙を拠点としていたという説も存在する。
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安倍忠良の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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