平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将で、奥州藤原氏第3代当主。保元2年(1157年)、父の死去に伴い家督を継ぎ奥六郡を支配。奥州藤原氏の最盛期を築き、平泉を平安京に次ぐ大都市に成長させた。仏教文化にも寄与し、豊富な財力で中央政界との関係を保ち続けた。源義経を匿い養育する一方で、源平の争いには中立を保つ。頼朝との対立を避けながらも、最終的には義経を匿う決断をし、その後も家督を巡る兄弟間の対立を調整。文治3年(1187年)に死去。彼の遺骸は現在も平泉の中尊寺金色堂に安置されている。
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藤原秀衡の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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