尾張藩の附家老である竹腰勝起は、元文3年(1738年)に生まれ、美濃今尾藩の第6代当主となる。竹腰正武の養子として迎えられ、宝暦4年(1754年)には将軍徳川家重に拝謁し、従五位下・壱岐守に叙任された。宝暦9年(1759年)に3万石の家督を継ぎ、山城守に転任。明和2年(1765年)には徳川宗睦の名代として日光山に参詣する。天明4年(1784年)には美濃国で3,000石を預けられ、翌年に長男の睦群に家督を譲って隠居。寛政元年(1789年)に亡くなり、法号は映徳院殿朝散大夫諦誉豊堂聴音大居士である。墓所は東京都港区虎ノ門の天徳寺。





