安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名で、伊勢菰野藩の初代藩主。文禄3年(1594年)、豊臣秀吉に仕え、伊勢国内で3000石を与えられ、豊臣秀頼の近臣となる。慶長元年(1596年)には1万石の大名となるが、慶長4年(1599年)に父が家康暗殺事件の容疑者とされると連座で罪に問われ、常陸国の佐竹義宣に預けられる。翌年、家康から罪を許され、近江国内に2000石を加増されて1万2000石で菰野藩を立藩。大坂の陣では徳川方として武功を挙げる。寛永12年(1635年)に隠居し、長男に家督を譲る。寛永15年(1638年)に56歳で死去。墓所は京都の功運院。



