安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で、徳川家康に仕えた。天正18年(1590年)の小田原征伐で功績を挙げ、文禄元年に300石を受ける。関ヶ原の戦いや大坂の陣にも参加し、慶長5年(1600年)に使番、翌年に徒頭となり1000石を領する。慶長19年(1614年)には持弓組頭に任命され、2900石に加増される。寛永3年に従五位下外記を受け、寛永8年(1631年)には武蔵国栢間の旧知5000石を賜る。寛永19年(1642年)に病で職を辞し、承応3年(1654年)に子に家督を譲る。寛文3年(1663年)、86歳で死去。墓所は埼玉県久喜市菖蒲町の善宗寺。子孫は幕末まで旗本寄合として続いた。

