系譜で辿る日本史

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内藤義清ないとうよしきよ

内藤義清

戦国時代の武将

氏族三河内藤氏
生没1463年 - 1538年
位階
官職
幕府職

戦国時代の三河国の武将で、松平氏の家臣。寛正4年(1538年)三河国額田郡に生まれ、特に岡崎城主・松平清康の元で活躍。右京進の官途名と上野城を与えられ、岡崎五人衆の一人に数えられる。大永5年(1525年)には織田信秀の攻撃を撃退し、享禄2年(1529年)東三河平定に功績を挙げた。天文4年(1535年)に清康が急死すると、翌年の井田野の合戦で織田軍を撃退し、手傷を負う。天文6年(1537年)には清康の遺児・広忠を支援し、同年末に没する。家督は子の清長が継いだ。

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主な祖先

内藤義清の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史

養父
    配偶者
      主な子孫

      相馬益胤

      11親等子孫

      菊亭脩季

      12親等子孫

      相馬祥胤

      10親等子孫

      醍醐忠重

      13親等子孫

      相馬昌胤

      6親等子孫

      藤堂高紹

      12親等子孫

      四条隆謌

      11親等子孫

      徳大寺実則

      13親等子孫

      佐竹義堯

      12親等子孫

      蜂須賀治昭

      9親等子孫