安土桃山時代から江戸時代前期の武将であり、信濃松本藩の第2代藩主。石川数正の長男として生まれ、徳川家康に仕えた。天正12年(1584年)、秀康が大坂に送られる際に同行し、翌年には父と共に豊臣秀吉に仕える。文禄元年(1592年)、文禄の役で500名を率いて肥前名護屋城に駐屯した。父の死後、家督を継ぎ、松本城の普請を進めるが、規模が大きすぎて百姓に負担を強いた。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは東軍に与し、徳川秀忠の軍として真田昌幸を攻めたが失敗。慶長18年(1613年)、大久保長安事件に連座し、改易され豊後佐伯に流罪。寛永19年(1642年)に配所で死去し、享年89。茶の湯を古田織部に学んだ。



