安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活動した武将で、徳川家康に仕えた。会津征伐に参加し、旗本として3500石を与えられる。徳川秀忠の上洛にも同行し、元和3年(1617年)には使番、寛永3年(1626年)には長崎奉行に就任。キリシタンの取締りを強化し、踏み絵の考案者とされる。寛永5年(1628年)には大阪町奉行、翌年には堺奉行を兼任。寛永9年(1632年)、秋山正重らとともに惣目付に任じられ、大目付の起源を作った。寛永13年(1637年)に死去し、法名は全叟宗元、京都嵯峨の天龍寺永明院に葬られる。養子の守政が家督を継いだ。

