木下勝俊は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将であり、大名であった。彼は隠士として後年を過ごし、木下長嘯子という名で歌人としても知られる。初めは豊臣家の一門衆として活躍し、龍野城や若狭の小浜城を治めた。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、伏見城の守備を担当したが、鳥居元忠の命令で退去し、戦後に所領を失った。備中足守藩を継いだが、異母弟と領地を巡って争い、最終的に所領を没収された。以降は京都東山に隠棲し、歌作に専念した。彼の和歌は自由で大胆な作風であり、松尾芭蕉にも影響を与えたと言われる。慶安2年(1649年)に亡くなり、高台寺に葬られた。彼の作品は『挙白集』に収められている。




