江戸時代中期から後期にかけての高家旗本として活動した。明和4年(1767年)、日向国高鍋藩の秋月種美の八男として生まれ、高家旗本・中条信復の養子となる。天明元年(1781年)には徳川家治に御目見し、表高家に列する。天明7年(1787年)、高家見習に召され、従五位下・侍従・河内守に叙任される。さらに高家職に就任し、文化5年(1808年)には高家肝煎に昇進、従四位下を得る。文化7年(1810年)、信復の隠居により家督を相続。長男の早世により松平直泰の六男を養子に迎える。文化13年(1816年)、従四位上に昇進。文政10年(1827年)に61歳で死去。











