鎌倉時代初期から前期の公卿で、左大臣・三条実房の長男。浄土寺相国と称され、三条家が清華家となる基礎を築いた。寿永2年(1183年)に叙爵し、文治5年(1189年)には従四位下・左近衛中将となる。建久6年(1195年)に蔵人頭に任じられ、同年に従三位の公卿に昇進。正治2年(1200年)に権中納言、建保3年(1215年)に内大臣となる。建保6年(1218年)には順徳天皇の下で従一位・太政大臣に叙任。承久3年(1221年)の承久の乱後に致仕し、嘉禎元年(1235年)に出家して法名を空寂とした。建長元年(1249年)に71歳で薨去。傍若無人な振る舞いから「おそろしからぬ太政入道」と称された。
主な祖先
三条公房の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















