平安時代後期の公卿であり、従三位参議左近衛中将を務めた。10歳で従五位下に叙爵され、若くして侍従に任官し、白河院に接近する。康和6年(1104年)には正五位下に進み、右近衛少将に任官。長治2年(1105年)従四位下に叙せられ、伊予権介を兼任。永久3年(1115年)には参議に任ぜられて公卿となる。保安元年(1120年)、30歳で薨去。同年に父も亡くなり、同年中に父子で公卿が薨去することは例がないとされた。鳥部野に葬送された。
主な祖先
藤原信通の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











