平安時代後期の公卿である。白河院や鳥羽院に信任され、堀河天皇や鳥羽天皇の五位蔵人として仕えた。保安3年(1122年)からは鳥羽・崇徳両天皇の蔵人頭を務め、大治5年(1130年)には参議左大弁に昇進。天承元年(1131年)には従三位・権中納言に至る。長承4年(1135年)に病気で辞職し出家。学才があり、詩歌にも秀で、『中納言雅兼卿集』を残した。勅撰和歌集にも9首が採録されている。白河院からは藤原通俊や大江匡房と並び評価され、出家後も鳥羽院から相談を受けるなど、宮廷における信頼は厚かった。
主な祖先
源雅兼の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫

















