鎌倉時代初期の公家・歌人である。初名は定継、その後清家に改名した。父は有名な歌人である藤原定家だが、光家自身は公事や和歌の才能に恵まれず、父から酷評されることもあった。家庭環境の変化や、後室の子である異母弟・藤原為家の台頭により、光家の立場は次第に不安定となった。官位は従五位上・侍従にとどまり、出世は限られた。九条家に仕えたが、庇護者の死去に伴い出家し、浄照房と号した。和歌は勅撰集に採録されず、『浄照房集』が伝わるのみである。生涯の晩年は九州方面に下ったとされ、その後の動静は不明である。
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