平安時代中期から後期にかけて活躍した公卿・歌人。後一条天皇の治世に従五位下に叙され、藤原道長の邸で元服し、讃岐権守に任命される。以後、武官や弁官を歴任し、昇進を重ねた。特に万寿元年(1024年)、相撲観戦中に源成任と喧嘩を起こし、事件を引き起こす。後に蔵人頭や参議に就任し、永承元年(1046年)には権中納言に昇進。和歌では『後拾遺和歌集』と『千載和歌集』に作品が収録される。晩年は病気を理由に出仕を辞退し、最終的に出家。享年76で白河朝の永保元年(1081年)に薨去。彼の子孫は院近臣として活躍し、武家や庶家としても多くの家系に分かれた。





















