平安時代中期の公卿で、従三位・皇后宮権大夫を務めた。朱雀朝末の天慶8年(945年)に文章生となり、円融朝では地方官として近江守や太宰大弐を歴任。貞元2年(977年)、大地震で倒壊した八省院廊の再建に尽力し、従三位に叙せられ公卿に列せられる。円融朝末の天元5年(982年)に皇太后宮権大夫に任じられ、皇太后・昌子内親王に仕える。花山朝の寛和元年(985年)に67または75歳で薨去。娘は摂政・藤原兼家の妾となり、後に三条天皇尚侍となる藤原綏子を産む。
主な祖先
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配偶者
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