平安時代中期の貴族で、円融朝で左近衛将監を務めた。その後、従五位下に叙され紀伊守に任じられる。一条朝初頭には若狭守として活動し、永延2年(988年)には邸宅を襲撃される事件も経験。正暦3年(992年)ごろ河内守、長徳4年(998年)には太皇太后宮権亮に任ぜられ、昌子内親王に仕えた。後一条朝では寛仁2年(1018年)ごろ備前権守に任じられ、治安2年(1022年)に出家。右大臣・藤原実資との親交が深く、実資の家司でもあった。治安3年(1023年)に没すると、実資が弔意を示した。
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藤原景斉の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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