南北朝時代から室町時代前期にかけて活躍した公卿・武将。父から伊勢国司を継ぎ、南朝方として多気を拠点に活動。南北朝合一後も幕府に抵抗し、明徳4年(1393年)には伊勢鈴鹿郡で土岐康政を破る。しかし、幕府から旧領を安堵されると帰順し、将軍足利義満を招宴。応永元年(1394年)には上洛し幕府との関係を維持。後に出家し、伊勢南半国の遵行権を得た。応永6年(1399年)の応永の乱では300余騎を率いて参戦。義満から軍功を賞され、伊賀半国と近江甲賀郡を賜る。晩年、幕府との交渉を続けつつ、応永21年(1414年)に薨去したとされる。













