江戸時代後期から明治時代にかけての公卿であり、歌人としても知られる。幕末には廷臣八十八卿列参事件に参加し、文久3年(1863年)には国事御用掛を務める。八月十八日の政変では一時参朝を停められるが、後に赦免され朝議に復帰。慶応2年(1866年)には大坂城で病臥中の徳川家茂を見舞い、徳川慶喜の将軍宣下に際しては勅使として伝宣を行う。王政復古の大号令で参朝を停められたが、明治元年(1868年)に赦される。明治4年(1871年)には宮内省に出仕し、明治7年(1874年)に隠居。明治16年(1883年)に59歳で薨去。











