鎌倉末期から南北朝期にかけて活躍した公卿。永仁6年(1298年)に従五位下に叙され、元弘元年(1331年)には光厳天皇の即位に伴い参議となる。正慶2年(1333年)、倒幕運動の中で光厳天皇らとともに六波羅探題へ避難するが、足利尊氏軍の攻撃を受けて捕らえられる。その後、南北朝分裂後は北朝に従い、光厳上皇の信頼を得て権中納言や正三位に叙される。光厳院政を支える重要な役割を果たし、最終的には権大納言にまで昇進するが、興福寺との対立によって2度の放氏を経験する。貞治3年(1364年)、光厳法皇を戒師として出家し、その約2か月後に薨去した。日記として『隆蔭卿記』を残す。











