平安時代末期から鎌倉時代にかけての公家で、正三位・播磨守を務めた。初めは大膳亮に任官し、その後、皇太后宮権少進や六位蔵人などを歴任。後白河法皇の近臣としても活躍するが、治承三年の政変で一時解官された。のちに許され、文治元年(1185年)には源義経らの謀反で再び解官されるも、再度復帰。後鳥羽上皇の側近としても尽力し、建久10年(1199年)には公卿に列する。建保4年(1216年)に出家し、嘉禄2年(1226年)に没した。享年70。
主な祖先
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