江戸時代後期の公卿である。初めは寿房と名乗り、文政3年(1820年)に叙爵。弁官や蔵人頭を歴任し、天保9年(1838年)には参議、天保12年(1841年)には従三位に昇進。嘉永元年(1848年)に権中納言、嘉永6年(1853年)には議奏として朝幕関係の調整に奔走。安政2年(1855年)には和親条約の謄本を受理し、翌年公武合体を提唱。条約勅許問題や将軍継嗣問題の調停に尽力。安政6年(1859年)安政の大獄の際に謹慎処分を受けるが、既に武家伝奏を辞職していたため減刑。享年58で薨去。日記「正房卿記」を残す。
主な祖先
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