久保田藩の重臣。佐竹東家に生まれ、初代藩主佐竹義宣の母方叔父である伊達盛重の養嗣子となる。久保田藩移封後の慶長13年(1608年)、藩主義宣より偏諱を受け、名を宣宗とする。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣に病身の養父に代わって従軍。帰国後、養父の死去に伴い家督を継ぎ横手城代となる。しかし元和8年(1622年)、藩の邪宗門とされた大眼宗の指導者捕縛に失敗し改易、江戸に出奔する。寛永6年(1629年)、久保田に戻り妻とともに隠居、寛永9年(1632年)に死去。後に息子隆宗による家名再興が許され、秋田伊達氏は復活する。







