戦国時代の武将である松平利長は、松平宗家5代当主松平長親の六男で、藤井松平家の初代となる。三河国の藤井城を居城とし、南の西条、東条吉良家に備えた。天文9年(1540年)、安城合戦で織田信秀軍に攻撃された三河安祥城を防衛し、城主・松平長家らが戦死する中で、松井忠次と共に織田軍を撃退することに成功した。永禄3年(1560年)の尾張丸根城攻めで戦死したとされるが、書状で生存が確認されており、戦死説には異論もある。墓所は愛知県蒲郡市の法林山光忠寺。法名は「龍徳院殿奇春樹祥大居士」。山形県上山市の月岡神社は、利長とその子信一を祀るために建てられた。











