奈良時代の貴族・歌人である。大納言・大伴御行の子として知られ、官位は従四位下・出雲守に至る。神亀年間から天平年間初頭にかけて、大宰帥・大伴旅人と共に筑紫に赴いていたと考えられる。天平20年(748年)に従五位下に叙され、孝謙朝では主税頭・三河守を務めた。淳仁朝では仁部少輔・遠江守・義部大輔を歴任し、昇進を重ねた。天平神護2年(766年)には出雲守に任ぜられ、地方官に転じた。光仁天皇の即位と共に従四位下に昇叙され、宝亀5年(774年)に没した。『万葉集』に短歌4首が残されており、大伴三林を同一人物とする説もある。



