江戸時代後期の大名である喜連川宜氏は、下野喜連川藩の第10代藩主として知られる。細川定良の長男で、初めは細川孝常という名であった。安政5年(1858年)、喜連川藩第9代藩主・喜連川煕氏の婿養子となる。煕氏は以前、細川家から迎えた養嗣子の紀氏と養子縁組をしていたが、紀氏が藩を継ぐことを拒み脱走したとされる。そこで煕氏は同年12月、孝常を新たな養嗣子に迎えた。万延元年(1860年)には将軍徳川家茂に御目見し、翌年には家督を相続したが、文久2年(1862年)に29歳で死去した。史料によって出自に関する記述が異なるが、細川定良の子として記録されている。







