江戸時代前期の旗本・大名である。下野国烏山藩の初代藩主で、寛永5年(1628年)に生まれる。正保4年(1647年)に小姓として召し出され、幕臣となり蔵米2000俵を与えられる。承応元年(1652年)に旗本那須資景の養子となり、明暦2年(1656年)に資景の遺領5千石を相続し、諱を資祇、官途名を遠江守に改める。寛文4年(1664年)、下野那須郡内で5千石を加増され、那須藩を再興し大名となる。天和元年(1681年)には烏山藩2万石の藩主となるが、貞享4年(1687年)に死去。後継者問題から那須家は改易されるが、後に家名が復活する。

