江戸時代前期から中期にかけての旗本・大名で、下野国烏山藩の2代藩主だった。天和3年(1683年)、母方の大叔父である那須資弥の養子となり、同年に徳川綱吉に御目見した。貞享4年(1687年)、資弥の死去により家督を継ぐが、同年10月に改易され、実父の許に預けられた。元禄13年(1700年)、津軽信政の働きかけにより旗本として復帰し、下野那須郡内に1000石を与えられた。宝永5年(1708年)には交代寄合となり、同年に37歳で死去した。那須家はその後も津軽家と関係を保ち続け、明治維新後、青森県に移住した。








