江戸時代後期、備前岡山藩の家老を務める。文化8年(1811年)、天城池田家の婿養子となり、文化14年(1817年)に天城領3万石を相続し名を出雲に改める。文政3年(1820年)に御仕置助、翌年には仕置家老に就任。文政7年(1824年)、幕府から備前児島洲の開墾を評価される。天保10年(1839年)、儒学者鴨井熊山を招き領内の学問を奨励。天保13年(1842年)、藩主斉敏の急死に際し、江戸での藩邸対応を行う。弘化2年(1845年)に没し、家督は長男の政昭が継いだ。墓所は岡山県倉敷市の天城池田家にある。











