江戸時代中期から後期にかけての会津藩主であった。寛延3年(1750年)に家督を相続し、以後、藩主としての務めを果たす。財政難に苦しむ会津藩の再建に取り組み、天明元年(1781年)に田中玄宰を家老として登用。玄宰と共に藩政改革を推進し、倹約令や殖産興業、教育の普及などを図った。これにより財政再建を成し遂げ、藩の安定化に寄与する。享和3年(1803年)には藩校・日新館を創設し、人材育成を進めた。文化2年(1805年)に死去し、享年62。藩政改革の成功は、後の幕末期の会津藩の勢力を支える基盤となった。





