大友氏の家臣である立花鑑載は、立花氏の第7代当主として筑前立花山城を治めた。永禄年間(1558年~1570年)に大友義鎮の命令で先代の立花鑑光が誅殺されると、その後を継いで立花山城を領した。永禄7年(1564年)、大友宗麟に対して謀叛を企てたが、翌年吉弘鑑理らに攻められ逃亡。その後、宗麟から許されるも、永禄11年(1568年)に再び毛利元就の調略を受けて叛旗を翻した。最終的に城を囲まれ、落城した際に自決したとも、処刑されたとも伝わる。息子の立花親善は生き延びたが、立花家の再興は許されず、後に戸次鑑連がその名跡を継ぐこととなった。






