長州藩一門家老である吉敷毛利家の12代として、文化9年(1812年)に養父の死去により家督を継いだ。文化14年(1817年)には仁孝天皇即位式の奉献使として御所に参賀した。文政9年(1826年)に当職となり、藩政改革を議論して隠居した兄の子の後見を務める。天保7年(1836年)には郷校憲章館を設立し、教育にも力を入れた。天保8年(1837年)に当職を辞任したが、江戸城での藩主の家督相続の御礼言上に同行し、将軍徳川家慶に拝謁した。天保9年(1838年)には長州藩が命じられた河川普請の総奉行を務め、天保11年(1840年)には再び当職となり、藩の財政再建に尽力した。病により弘化元年(1844年)に辞職し、弘化4年(1847年)に死去した。










