山階宮晃親王は文化13年(1816年)に誕生し、幼名を静宮とした。文政6年(1823年)に親王宣下を受け、翌年に出家して済範入道親王と称した。天保12年(1841年)に叔母と出奔し、翌年、勧修寺門跡の地位を停止され、蟄居を命じられる。安政3年(1856年)に蟄居が解かれ、文久3年(1863年)に還俗し山階宮の宮号を賜る。明治維新後、外交トップとして外国事務局督を務め、閏4月に辞任。1890年(明治23年)には貴族院皇族議員に就任し、1898年(明治31年)に83歳で薨去した。明治維新以降の皇室の葬祭は古式に基づくため、遺志の仏教式葬儀は拒絶されたが、神葬祭が行われた。
主な祖先
山階宮晃親王の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











