鎌倉時代後期の公卿である西園寺公顕は、今出川右府と号し、伏見天皇から花園天皇までの四帝に仕えた。官位は従一位右大臣まで昇進したが、政治的才能には恵まれなかったとされる。正応元年(1288年)に叙爵し、正応3年(1290年)には参議となり公卿に列した。京極派の歌人としても活動し、『新後撰和歌集』以下の勅撰和歌集に24首が収録されている。また、琵琶の秘曲伝授にも関わり、延慶2年(1309年)には後伏見院に楊真操の秘曲を伝えている。元応3年(1321年)に48歳で薨去した。彼の子孫は南朝に仕えたため、今出川家は弟の兼季の子孫に引き継がれた。





















