明治時代の皇族である山階宮菊麿王は、海軍軍人として活躍した。幼少期に梨本宮守脩親王の養子となり、後に山階宮に復籍し家を継ぐ。海軍では「磐手」や「八雲」の分隊長を務め、1908年(明治41年)に薨去時には海軍大佐に進級した。気象学の研究にも熱心で、自費で観測所を建設。この観測所は後に気象庁や筑波大学と筑波山神社の共同管理となる。公爵九条道孝の娘・範子を最初の妃とし、彼女の薨去後に島津忠義の娘常子と再婚した。子供たちは山階宮を継承したり、臣籍降下して山階・筑波・鹿島・葛城の姓を賜るなど、多様な道を歩んだ。
主な祖先
山階宮菊麿王の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











