平安時代後期の公卿で学者、歌人として知られる。康治元年(1142年)に文章得業生となり、康治3年(1144年)に大学権助に任ぜられた。久寿2年(1155年)、守仁親王の東宮学士に任命され、保元の乱後は右少弁に任官。父・信西の権勢を背景に要職を歴任し、保元3年(1158年)には正四位下・権左中弁に昇進。平治の乱で父が殺害されると越後国に配流され、出家して法名を真寂と称す。後に平安京に召還されるが政治には復帰せず、仁安2年(1167年)に46歳で没す。『千載和歌集』や『新勅撰和歌集』に歌が収録され、著書に『新任弁官抄』などがある。











