平安時代後期の寂然は、僧であり貴族、そして歌人としても知られる。崇徳朝で躰仁親王の蔵人や左近衛将監を務め、康治元年(1141年)に従五位下に叙され、翌年には壱岐守に任じられた。久寿年間(1154年-1156年)には出家し、大原に隠棲し、法名を寂然と称した。兄弟の寂念・寂超と共に大原三寂・常盤三寂と呼ばれ、西行や西住とも親交が深かったとされる。和歌に優れ、『唯心房集』『寂然法師集』『法門百首』などを私撰し、『千載和歌集』以下の勅撰和歌集には47首が収められている。各地を旅行し、讃岐国に流された崇徳院を訪問したこともある。晩年は不詳だが、和歌や今様に深く通じたことで知られる。











