嵯峨浩は大正3年(1914年)に東京府で生まれ、侯爵嵯峨家の長女として育つ。昭和11年(1936年)、満洲国皇帝愛新覚羅溥儀の弟・溥傑との縁談が進められ、昭和12年(1937年)に結婚。満洲国の首都新京に渡る。夫婦関係は円満で、長女慧生と次女嫮生をもうけた。終戦後、ソ連に拘束された溥傑と離れ、日本に帰国。書道教師として生計を立てる。昭和35年(1960年)に溥傑が釈放され、翌年中国で再会、北京で暮らす。文化大革命を経て、昭和62年(1987年)に北京で死去。遺骨は日本と中国で分けられ、散骨された。











