江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した公家であり、政治家。天保11年(1840年)に参議として活動を開始し、光格上皇の諡号に関する問題では一人反対を唱えて注目を浴びた。嘉永6年(1853年)にはアメリカのペリー来航に際して攘夷論を主張し、条約締結に反対した。維新期には孫の明治天皇を支え、討幕の密勅を出させることに尽力し、王政復古の大号令を実現させた。明治政府では議定、神祇伯などを歴任し、明治天皇の祖父としてその統治を支えた。晩年には侯爵に叙せられ、大勲位菊花大綬章を受章している。明治21年(1888年)に80歳で薨去。


















