江戸時代後期の公卿である中山忠愛は、従四位右近衛中将に任じられた。1863年(文久3年)には右近衛中将となるが、養子であった弟・忠光の天誅組の変や弟正親町公董の行動が影響し、父・忠能と共に失脚。翌年の禁門の変では、長州藩に好意的な態度を取ったことから、参朝や他行を禁止される。1868年(慶応4年)に参与に任じられ、1876年(明治9年)には従四位の位階を返上。1882年(明治15年)に没し、享年51。祭粢料500円が下賜された。
主な祖先
中山忠愛の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











