平安時代前期の公卿である平惟範は、貞観16年(874年)に従五位下に直叙され、清和天皇の蔵人として仕える。以降、清和・陽成・光孝・宇多の四朝にわたり皇太后・藤原明子にも仕え、元慶元年(877年)から順調に昇進する。延喜2年(902年)に参議となり、延喜8年(908年)には従三位・中納言に叙任される。学識に優れ、『延喜格』の編纂に参画。漢詩にも通じ、仁和4年(888年)には画師・巨勢金岡によって当代の優れた漢詩人として描かれる。享年55で薨去。
主な祖先
平惟範の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫



















