室町時代後期から戦国時代にかけての公家で、正四位下・大学頭を務めた。唐橋家は九条家の家令であり、彼も「雑務執事」として九条政基に仕えた。応仁の乱中、財政難の九条家を支えるため、在数は日根荘を担保に根来寺から融資を受けたが、返済不能に陥り、九条家と対立。明応5年(1496年)、九条邸で政基・尚経父子により殺害された。この事件は朝廷に大きな影響を与え、九条家は勅勘を受け、家礼を持つことを禁じられた。事件の後も九条家の地位は低下し、政基の晩年にも影響を及ぼした。
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唐橋在数の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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