平安時代末から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将で、後に伊賀氏の祖となる。源頼朝に従い、文治5年(1189年)の奥州合戦に参加し、建久元年(1190年)の頼朝の上洛にも同行。正治年間には左衛門少尉に任じられる。建仁3年(1203年)には比企能員の変で北条政子の命を受け、比企氏攻撃に加わった。建永元年(1206年)に検非違使となり、翌年に叙爵。承元4年(1210年)に伊賀守に任じられ、以後伊賀氏を称した。建暦2年(1212年)には従五位上に叙され、建保元年(1213年)の和田義盛の乱後には常陸国佐都を恩賞として賜る。建保3年(1215年)に死去し、翌日に義時が参列して埋葬された。





















