六角義定は、天文16年(1547年)に南近江の戦国大名・六角義賢の子として誕生した。初めは大原氏を名乗ったが、永禄10年(1567年)に家督を継いだとの説もある。織田信長が南近江に侵攻した際には、父や兄と共に抵抗し、観音寺城落城後は甲賀の山中に逃亡し抗戦を続けた。天正10年(1582年)の甲州征伐では「佐々木次郎」として記録されており、その後も豊臣秀頼に面会した記録がある。元和6年(1620年)に死去し、息子の高和が家を継ぎ、江戸幕府の旗本となった。高賢の子・定治は加賀藩士として家を続けたが、義定の系統は無嗣断絶となった。











