室町時代後期から戦国時代にかけての武将で、近江国の守護大名。父の死後、康正2年(1456年)に家督を継ぐが、従兄の六角政堯に一時追われる。応仁の乱では西軍に属し、最終的に南近江を確保。文明10年(1478年)に幕府から近江守護に任ぜられるが、公家領や寺社領を押領したため、足利義尚の反発を受け、長享元年(1487年)に追討を受ける。延徳元年(1489年)に義尚が没した後、赦免されて復帰。明応の政変や連続した追討を乗り越え、明応4年(1495年)に近江守護に復帰する。晩年は家臣の伊庭貞隆との対立に悩まされ、最終的には伊庭氏の没落を経て死去。彼の死後、六角氏は全盛期を迎える。













