戦国時代の大名である土岐頼充は、美濃国の守護大名として知られる。大永4年(1524年)に生まれ、父の没落後に土岐氏の家督を継いだ。天文4年(1535年)、長良川の洪水を契機に美濃復帰を図り、六角氏や朝倉氏の支援を受けて頼芸や斎藤道三と対立。複数の戦乱を経て、天文15年(1546年)には和議が成立し、美濃帰国が実現するが、守護就任は確認されていない。天文16年(1547年)に24歳で死去。死因については毒殺説と自然死説があるが、木下聡によれば病死とされる。頼充の生涯は、家督争いと復権を目指した波乱に満ちたものであった。











