三河刈谷藩の第2代藩主として藩主を務めた。明和3年(1766年)、初代藩主・土井利信の養子となる。明和4年(1767年)、利信の隠居に伴い家督を継承。文化活動や茶道に専念し、水戸徳川家や堀田正敦らと交友を深める。しかし、藩政を顧みず、領民から嘆願されるも態度を改めなかった。天明2年(1782年)には強訴を起こされ、財政再建を試みたが失敗。天明7年(1787年)、家督を息子に譲り隠居し、その後は藩政に関与せず文化活動に専念。文化2年(1805年)に剃髪し、宗鋪と号した。文化10年(1813年)、江戸で没する。享年66。











