安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達氏の家臣として活動し、主に登米伊達家初代当主として知られる。慶長4年(1599年)、岳父の養子となり胆沢郡水沢城を任される。翌年の関ヶ原の戦いでは白石城攻略や慶長出羽合戦での活躍があり、主君・伊達政宗の命で和賀忠親を支援するも、これが原因で徳川家康との加増約束が反故にされる。責任を負い、慶長9年(1604年)に登米郡寺池城へ転封されるが、領地の発展に尽力。大坂の陣では功績を挙げ、元和2年(1616年)には伊達姓を名乗ることを許され、登米伊達家と称されるようになる。寛永6年(1629年)、53歳で死去。大正7年(1918年)、正五位を追贈された。
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